EVIL HIERORHANT

「邪悪論」書簡集
これは、HP「全商品裁判所」裁判長と、わがタマランチ工房皇帝の、

往復書簡であり、この文献は、今後の「邪悪学」に、多大なる貢献を

するであろう。いち早く、インターネットにて原物を閲覧出来る諸君

は、正に歴史の証人となるであろう。(タマランチ王立図書館長)

(本来、以下の文章はラテン語にて書かれておりましたが、今回は日本語への翻訳を、王立図書館にて行いました)

 (ある医療系サイトの掲示板にて、98.1.9 タマランチ皇帝より、臣民に)

 みんなかがくのはなしばかりだなあ。てつがくとかのはなしもしようよ。ぼくも、むかしはりけいだったようなきがしたけど、もうわすれちゃった。かんじもかけないや。一般の医者とはやっぱり話題のネタが違うのかなあ。クローンったって関係ないもんね、うちの科(精神科)。ドッペルゲンガーなら関係あるけど。

 (同じく、98.1.10 タマランチ皇帝より、臣民に)

 いや、私もそんなに哲学が得意ってわけではないんデスけど。何でもいいから疑問をもっ、というのが哲学だと思っています、私は。ハイデッガーとか、言ってることは何となくわかるんだけど、もっと解りやすく言えるんじゃないかな、とか、その程度ですので。だから、私にとってはマジな話なんですけど、例えば臓器移植とかで、残りの寿命が1年の所を2年に延ばした所でどうすんのかな、っていう、もう医学の根底を揺さぶるような話、ありますよね(デスの光)。その点、他の医師の方々、どのように考えてらっしゃるのかな、と思って。

(同じく、98.1.12裁判長より、タマランチ皇帝に)

はじめまして。全商品裁判所というところで裁判長を勝手にやってます。

僕も哲学大好き人間でいので、少々陳述させて下さい。

で、タマランチ会長の「医学の根底を揺さぶるような話」っていすのは、簡単に言えば、人生観の話であり、世界観の話であり、死生感の話なわけですよね。

 タマランチ会長が期待されているものって、例えば、こんな感じのものですか?

「病気はなおしゃあいいのか? 長生きはすりゃあするほどいいのか? そうはいかねえ。身体が丈夫だって、長生きしたって、なんにもならねえ奴はいくらでもいる。なにかを、誰かを深く愛することもなく、なんに対しても心から感心を抱くことが出来ず、ただ飯をくらい、予定をこなし、習慣ばかりで一日をうめ、下らねえ自分を軽蔑することもできず、俺が生きてて何が悪い、と開き直り、魂は1ワットの光もねえ。そんな奴が長生きしたって、何になる? そんな奴が病気治したって、なんになる?」

 これはテレビドラマ脚本家、山田太一の「早春スケッチブック」(大和書房)の中の、台詞の一つなのですが…。

 この脚本の底流にはニーチェの思想が流れていたりするのですが、簡単に言ってしまえば、生きること=無条件に善 死ぬこと=無条件に悪 という、多くの人がほとんど公理の様に自明のことと信じ込んでいるものを揺さぶってくれます。

 僕も基本的には、この様な考え方が大好きなのですが、現実問題、これを多くの患者さんに適用した場合、かなり邪悪な雰囲気を帯びてくるといった問題をどうお考えですか?

(同、98.1/13裁判長より、タマランチ皇帝に)

僕は死後どうなるか、楽しみでなりません。

 多分、富士急ハイランドのジェットコースター以上のスリルが味わえると思っています。

 僕は死ぬことを選択した場合、将来生きることはあるのではないかと思っています。

 少なくともその可能性はあると思っています。

 つまり生まれ変わり、輪廻転生があるかどうかですよね。

 僕は、死んでも、また何かに生まれてくるのだろうと思ってます。

 (その場合、自我の統一性の問題はありますが…)

 僕は一切の宗教を信じていませんが、そう思います。

 僕なりに理論的に考えてでてきた結論です。それはパソコンからの類推です。

 僕らが今使っているパソコンのRAMメモリーは、電源を落とすと、そのデータは消えちゃうじゃないですか。で、電源をまた入れると、初期化されて、0から立ち上がる。これと同じじゃないかと。例えば、僕が生まれる前の状態、つまり初期状態というのは確かにあったわけで、死んだら、その初期状態に戻るだけの話じゃないかと。で、一度、生まれてきた時と同じような感じで、また初期状態から生命が生成され、生まれてくると。

 一度、この世に生まれたことがあるからって、もう二度と生まれ変われないしいというのは、理論的に考えても、おかしいと思うのです。何故って、一度、生まれたどうかの判定フラグなんてものは、存在しようがないと思うからです。もし存在するのであれば、その判定フラグの存在場所がなけりゃならなくなるわけで、そりゃないだろうと。僕は、死ぬ程、死後の世界を味わってみたいと思いますが、それを今実行しないのは、この仮説がハズれていたら、しゃれにならないからです。しまった、仮説が間違っていたとわかった時には、もう遅い。

 死ぬのが楽しみな私は狂人か変人でしょうか。ということで、狂人でも変人でもありません。普通の知的好奇心のある人であれば、それが普通だと思います。

 僕の場合、ヤリタイコトを全部やって、悔いが何ひとつ無く成仏して死ぬことが僕の人生目的です。ヤリタイコトをやらずに死ぬと、悔いが残って死んでも死にきれず、成仏できません。世間体や倫理や常識や一般通念などにまどわされず、自分がヤリタイコトだけをやる。ヤリタクナイことは死んでもやらない。人間、いつポックリいくかわかりません。若いうちはヤリタクナイことをしても苦労し、老後ゆっくりと…などとう人生感は、決定的に間違っていると思います。

(同98.1/14 タマランチ皇帝より、裁判長へ)

>哲学を深めるほど、邪悪になっていく。

その通りデス。私は、世界一邪悪な精神科医をめざし、日々邁進しております。まだまだ未熟者ですが。したがって、私の標榜する科は、「精神科」というより、「デスメタル科」と呼ぶのに相応しいでしょう。少年ジャンプの三本柱は、「努力、根性、勝利」デスが、当タマランチ工房の三本柱は、「偽・悪・醜」であります。プラトン死ね(もう死んでるって)。これからもよろしくお願いいたしますデス。

 あ、あと、死についてデスが、私は基本的には一回こっきりのものと思っております。もし輪廻転生があったとしても、それは全く別の人間だと思います、そうでないと、同じ人間が永久に存在できることになる。わが付属宗教団体「デスの光」では、そのような状態をもっとも恐ろしいもとだと考えます。どうやっても自分が消滅することができないなんて、考えただけでも怖くありませんか? 終わりの無い曲をエンドレスで聞いてても、同じフレーズが出てくるだけデスよ。そんなの、どんな人間でも、いずれは嫌になってくると思いますが…。

(同98.1/15 裁判長よりタマランチ皇帝に)

タマランチ会長殿

>>哲学を深める程、邪悪になっていく。

>その通りデス。私は、世界一邪悪な精神科医を目指し、日々邁進しております。

…そうきましたか。邪悪というものと医療というものが基本的に折り合いの悪いものだろうと思って、お聞きしたのですが、そうですか。そうきましたか。「世界一邪悪な精神科医が目指すもの」が一体、どんなものなんか、具体的に教えていただけませんか。具体的に。あまりにも抽象すぎてわかりません。一見、悪ぶってはいるが、実はとってもヒューマンというライフスタイルを選択しているだけなんでしようか。

>したがって、私の標榜する科は、「精神科」というより、「デスメタル科」と呼ぶのにふさわしいでしょう。少年ジャンプの三本柱は、「努力、根性、勝利」デスが、当タマランチ工房の三本柱は、「偽・悪・醜」であります。

 これが文字どおり本当のことなのであれば、「精神科」という記号の元に商売をやっては誤解のもとのような気がしますが…。患者さんは面くらうでしょう。体を張っておっしゃっているのであれば、やはり体を張って「デスメタル科」という看板を作り、営業すべきでしょう。デスメタル精神病院でもデスメタルクリニックでもかまいませんが、これを実行して頂いてこそ、タマランチ会長の言説、及びホームページが初めて説得力を持ってくると思いますよ。

 …と、こんなことを言っていますが、僕はタマランチ会長殿を追い詰めよう思って言っているのではありません。実は全くの逆で、応援したいのです。今までに無いジャンルに体を張って挑戦して頂きたいのです。独創的なことをして頂きたい。自分で新しいジャンルを創造して頂きたい。(ナンシー関が、消しゴム版画家などという、全く新しいジャンルを開拓?した様に…ちょっと、比喩が弱いか…)

 そして人生を楽しんでいただきたい。楽しむ為にこそ人生はあると思います。一回こっきりの人生ですしね?

 実は、僕も善のかおりよりは、邪悪なにおいにひかれる人間です。自由とかいう言葉は大好きですが、平等とか環境とか民主主義とか人権とかすう言葉は、生理的に偽善のかおりをかぎとり拒絶するところがあります。

 是非、タマランチ会長殿には「デスメタル精神病院」という看板の元、仕事をして欲しいと本心から思います。始めは、白い目でみられると思いますが、 フロイトが性欲の理論を打ち出し全世界から顰蹙を買いまくった、あの頃のことに比べればまだまだ規模が小さすぎるかもしれません。

>あ、あと、死についてデスが、私は基本的には一回こっきりのものと思っております。もし輪廻転生があったとしても、それは全く別の人間だと思います、そうでないと、同じ人間が永久に存在できることになる。

可能性としては、もう一つあります。気質とかはそのままで、過去の記憶だけを、ほぼ消去された形で生まれ変わるという可能性。この場合であれば、不都合は何もなくなると思うのですが…。ただ記憶が、ほぼ全部消されているので、自我の統一性がどうなるかという問題はありますが…。

>わが付属宗教団体「デスの光」では、そのような状態をもっとも恐ろしいもとだと考えます。どうやっても自分が消滅することができないなんて、考えただけでも怖くありませんか? 終わりの無い曲をエンドレスで聞いてても、同じフレーズが出てくるだけデスよ。そんなの、どんな人間でも、いずれは嫌になってくると思いますが…。

ニーチェの永遠回帰のことですか?

僕がイメージしてるのは、そんなループ状のものではなく、螺旋状のものです。

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